指導方針#2

三鷹FCの指導方針の概要は「育成」となりますが、具体的にどのよう
な考え方でクラブ運営を行っていくかについて書いていきたいと思い
ます。

1.練習と試合について
クラブの主体活動は練習です。練習の成果を試すのが試合となります
が競技への参加がクラブの目的ではありません。
競技(試合)参加はクラブのイベントとしてとらえて下さい。
また、試合は子供たちの社会性を養う場としてチームでは考えており
ます。

【練習の目的】
「スポーツマンを育てること」子供たちがスポーツ活動を通して自立
に必要な経験と体験をすることにスポーツは大きな影響を与えると考
えます。そして、もちろんサッカーを媒体として活動を行っておりま
すのでサッカーのスキルアップも重要な目的の一つで、チームとして
個人として将来有望な選手を育てることも目的です。

【1・2年生】
低学年においてはまずサッカーを好きになることが重要です。
学年が上がるごとにサッカーの基礎となる技術練習が増えます。コツ
コツとドリル練習をこなさなければならなかったり、競い合う場面も
増えてくることから挫折させないためにサッカーの総合的な楽しさを
体感し、自ら進んで練習する姿勢を持てる様にしたいと思います。
また、この年代では自己統制が十分でないためサッカー技術の練習だ
けでなく練習でのルールやチームでの決まり事を守ること、メンバー
同士のコミュニケーション能力の向上を図ることが大切です。
チームでは子供たちが安全・安心して練習できる環境作りとその年代
にあったプログラムでの指導をおこないます。
※基礎技術(運ぶ・蹴る・止める)へのアプローチ

【3・4年生】
サッカースタイルが個人から組織へと変わっていく年代です。
組織の中で自分の役割を理解し、個々の能力を発揮できるようになり
ます。サッカーに関しての専門的な知識も覚え、積極的に対外試合を
おこないます。
また、足元の技術だけでなくフィジカルの能力も必要となるため、コ
ンタクトスキル(体を使い相手をブロックする)や瞬発力、技のクオ
リティの向上を目指します。
この年代で習得してもらいたいのは「学習」する習慣です。コーチに
言われたことをやっていれば良いんだということよりも学ぶことの出
来る選手になれるよう指導いたします。
例えば同じ様な読み方や行動を意味する言葉でも使う漢字によって意
味合いが違ってきます。
コーチの指導を受けて「見て聞いて」~「反応」~「動く」に対して
「観て聴いて」~「思考」~「実行」する様な習慣を持てる選手にな
ることを推奨します。

【5・6年生】
ジュニア年代最後のカテゴリーとなります。総合的なパフォーマンス
を発揮できる年代です。「判断」についてのスキルを上げるために各
要素を統合できるように指導いたします。また、中学生までに習得し
ておかなければならないスキルについての課題があるため、パフォー
マンスとして発揮できなくとも知識や体験として覚えることが重要と
考えております。(今できなくとも知識や体験として認識できれば将
来につながります。)
これは今まで中学生を指導してきて感じたことで、中学生年代での
トレーニングにおいて小学生で習得しておかなければならないスキル
を一からやり直す時間はほとんどありません。
しかし、小学生年代で経験し習得できなかった課題はフィジカルの向
上において習得することが出来る様になります。
(最初からやり直し習得できないことはありませんが(勉強同様)練
習の流れに乗り遅れてしまい他の者との遅れを生じてしまいます。)
身体が大きくなること、筋力が付くことでダイナミックで素早く・力
強いプレーが可能になります。従いまして、小学生年代では動きの中
でのボディバランスやタイミング、リズム感等の神経系の動きにター
ゲットを絞り指導していきます。
小学生年代で子供たちのプレーやパフォーマンスは完成しません。
個々のポテンシャル(潜在能力)についても練習の中で感じながら指
導していかなければなりませんし、小学生年代でのパフォーマンスの
在り方についても認識していなけばなりません。育てた選手が将来ど
のように成長したかはその大きな要素ともなります。
また、スキル・フィジカル共に兼ね備えた選手が必ずしもトップアス
リートとなるとは限りません。その様な選手が挫折するのは往々にし
てサッカー活動以外の問題が原因です。

その為にも体力や技術だけでなく「スポーツマンとしての資質」を高
めることを小学生年代から養うことが重要だと考えます。

三鷹FCの歴史#1(鶏鳴SC)

チーム名を三鷹FCとしてから3年となりますが、ここに至るまでの経緯
をブログに書き記していきたいと思います。
現在に至るまで4回のチーム名を変更しました。他のチームにしてみれ
ば異例なことで、これは私のサッカー活動、指導の歴史といっても良い
でしょう。

創設は1987年、当時、私は大学を卒業して地域のスポーツクラブで
働きながらから高校の体育教師を目指しておりました。しかし、毎年東
京都での採用がなく、高校講師への道が近道だと恩師より進められ講師
への転職がほぼ確定していたところ、スポーツクラブで指導していた幼
児クラスのチームが全国幼稚園サッカー大会に出場することとなり、こ
れを最後に退職するつもりで大会に出場しました。
すると、当時TBSテレビの日曜10時から放映されていた「すばらしき
仲間たち」という番組に取り上げられ、初出場のチームということで密
着取材を受けることなったのです。結果は予選で敗退してしまい良い成
績は残せませんでしたが、そのテレビを観ていた後の指導先となる鶏鳴
幼稚園の園長から「うちの幼稚園で体育指導を行ってもらえないか」と
いうオファーが届き、4月より講師として決まっていた都立府中高校と
どちらにしようか迷ったのですが、園長先生に会い話をした結果、鶏鳴
幼稚園を選び活動を開始しました。
これが三鷹市に来ることとなった経緯です。
私はこの年すぐに幼稚園を拠点とし、幼児と小学生のクラブを設立しま
した。「鶏鳴サッカークラブ」です。

当時は「キャプテン翼」がブームとなってサッカーが子供たちの人気の
スポーツとなってきた時代でしたが、三鷹市においては少年野球が盛ん
で三鷹市西部地区(二小・井口小地域)にはサッカークラブは無く向原
サッカー少年団という少年団クラブが細々と少年サッカー活動を行って
いる状況でした。
そんな中、鶏鳴サッカークラブも順調にメンバーが増え、また、現在の
井口特設グランドが工場跡地にグランドとして使用できることとなった
ことから、本格的に三鷹市少年サッカー連盟に加入、また次の年には当
時14ブロック少年連盟(現在9ブロック)にも加盟し、現在と同じよ
うな活動を行うようになったのです。

三鷹市の歴史#2(GALLO ROMANISTA)へ続く

三鷹FCの歴史#2(GALLO ROMANISTA)

「鶏鳴サッカークラブ」として対外試合にも参加するようになるとある
程度成績も上がり、三鷹市の中ではそこそこ出来るチームとして認めら
れるチームになりました。
そんな中、鶏鳴幼稚園同様、三鷹市で幼稚園を拠点としているサッカー
チーム(現在はありません。中原にあった愛泉幼稚園)ローマクラブと
いうチームから「こちらのチームの指導者になってもらえないか」との
誘いを受けました。(端的に言うと引き抜きですね)
サッカー以外の仕事に関しても愛泉幼稚園で仕事をお願いしたいという
事でありましたが、鶏鳴幼稚園を裏切る訳にもいかず、最終的に私が管
理者であれば他の指導者でも構わないということになり、そこから鶏鳴
とローマクラブの2つのチーム運営を任されることとなりました。
そこで誕生したのが「GALLO ROMANISTA」です。
※GALLLO:イタリア語 ” 鶏 ” ROMANISTA:イタリア語 AS ROMA
のサポターの意味。
余談になってしまいますが、当時(今もですが)1994年に行われました
ワールドカップ アメリカ大会でイタリア代表のロベルトバッジョのプレ
ーに魅了され大ファンになりアズーリ(イタリア代表)のプレースタイ
ルに影響を受けました。
チームのコンセプトワード:@fantasista!はこの時に生まれました。
” 誰かにとって創造性豊かな1人のプレーヤーとなること ” の意味。
愛泉幼稚園の代表もセリアAのASローマのファンであったこともあり
話が合い合同チームの誕生となったのです。
また、時を同じとして、中田英寿がAS ローマに加入し、日本でもASロ
ーマの人気も高まり、便乗して日本のAS ローマファンクラブを設立。
ASローマからの公認ももらい事務局として活躍?しました。
ホームページを作り会員を全国から集いオフ会を青山の高級イタリアン
「サバティーニ」でジローラモ(ちょい悪おやじ)をゲストに呼んで開
催したり、六本木のスポーツバーでローマのセリエA優勝の観戦会をし
たり、今考えると何してたんだ・・・って思えますがこれも良い思いで
です。

「GALLLO ROMANISTA」はすぐに機能しました。当時鶏鳴の3年生と
ローマクラブの3年生は共に各大会で好成績を残している学年で、お互
いライバルとして切磋琢磨するチーム同士であったため、合同チームを
組むと3年~6年生卒業までのブロック大会にて全てで優勝し、全日本
少年サッカー大会(6年生)東京都大会では準決勝でヴェルディJrに負
けて(後に中学生でプロデビューした森本選手がいました)しまいまし
たが、歴代最高の成績を残しました。
また、その下の学年もブロック優勝を度々果たし、東京都大会の常連
チームとなりました。当然、三鷹市大会では全学年優勝(当時3年~6
年でしたが)を果たしたりしたこともあります。

また、この時期に指導者として今までの考え方を大きく変える出来事が
ありました。 それはサッカー協会の資格制度です。
サッカー協会で資格制度の始まりで指導者は資格を取らなければならな
という制度に合わせ、東京都で初めて”少年少女サッカー指導員”(現在
のD級指導員)の取得講習会が行われ三鷹市より私を含め3名が推薦さ
れ久留米高校で講習を受けました。
また、FC東京が味の素スタジアムをホームとしてプロサッカーチーム
を設立し、その一環として地域貢献ということで三鷹市の中学生年代の
育成事業を行うこととなり、「FC三鷹」の設立を行いました。
その設立メンバーに私も入っており、週1回 中学校ナイター開放を利用
してスクール活動を行うものです。中村コーチもこのプランにアスレチ
ックトレーナー兼指導コーチとして参加しておりました。
そして、すぐに私と中村コーチは中学生を指導するということで、FC
東京のコーチから推薦をもらい、C級コーチの資格取得となりました。
(今はC級コーチの資格は失効してしまいD級コーチとなってしまいま
したが・・・)
その当時、出来たばかりの福島のJビレッジにて講習を受けましたが、
受講しながら「目からうろこ」状態、今までの指導に対する考え方の間
違いを痛感することになり、その後の「FC三鷹サッカースクール」の指
導体験(3年間)から多くを学ぶことが出来たことは現在の財産です。

我がチームの指導方針を「育成」に変えることが出来たのはこれらの経
験によるものです。

三鷹FCの歴史#3(F.C.GALLO)に続く

三鷹FCの歴史#3(F.C.GALLO)

GALLO ROMANISTAも順調に活動しておりましたが、多少強豪チームの
仲間入りをしだすと問題が生じてきます。結局またローマクラブとして
単独で活動したいという要求や欲求により不穏な動きがチーム内に現れ
たことでチームを分けて運営する事となりました。
もともと単独チームで活動していたチーム同士ですから無理もないので
しょうが、私としては「一緒にやろうよ」と言われその気になってやっ
ていたら「やっぱりやめようよ」と言われたのと同じですからここでロ
ーマクラブの運営も辞退することにしました。
そして「F.C.GALLO」と名前を改め単独チームで活動することとなった
のです。
ローマクラブは残念ですが、その後チームが消滅しました。チーム運営
マネージメントの重要性をこの時に学びました。

「F.C.GALLO」として再スタートとなりましたが、チームとしてのメン
バーが減っただけで影響はほとんどありませんでした。
このころの活動としては、チーム活動だけでなくブロックや三鷹市の運
営役員、トレセン(三鷹市・14ブロック)のメインコーチなど地域の
サッカー活動にも積極的に協力した時期となります。
思い出されるのは東京都大会で優勝したこと!
4年生の都大会となりますが、府中の関東村でブロック代表チームを集
め行われましたが予選リーグのあった日に井口小学校が学芸会と重なり
(主力選手が何名も不在)他の小学校のメンバーで戦い見事予選突破、
決勝トーナメントを勝ち抜き優勝したことです。
また、14ブロックトレセンメインコーチで東京都選抜大会で優勝した
こと(鹿島アントラーズ三竿選手がその時のメンバー)
次の年に準優勝(決勝で負けてしまいましたが、その時の紅一点、なで
しこJAPANの岩淵真奈選手がメンバーでした。)
残念ながらプロ選手や日本代表で活躍している選手は我がチームの出身
ではないですが、今後も頑張ってほしいと思います。

また同時にC級~A級地域スポーツ指導員(マスター)の資格を取得する
中で学んだクラブマネージメント学を基に理想とするクラブ作りを目指
とすことを決心しました。
それは大人から子供まで多年層が所属する地域クラブです。その為の準
備として新しく制定されたNPO法人の設立を決断しました。

三鷹FCの歴史#4(三鷹FCウエスト)に続く

三鷹FCの歴史#4(三鷹FCウエスト)

地域スポーツクラブの設立を目指し、NPO法人(特定非営利活動法人)
を取得(Disport三鷹:2003年設立、「Disport:ディスポルト」とは
スポーツの語源で ” 遊ぶ ” といった意味)

何故法人化する必要があったのか、それは前にも述べた「FC三鷹サッ
カースクール」を運営していたいた時に体験したことで、「FC三鷹」
の運営団体は三鷹市教育委員会・FC東京・地域住民で構成されていま
した。三鷹市は練習会場の確保(1年間中学校ナイター開放を優先確
保)FC東京はメインコーチを派遣(メインコーチとして中学生及び私
たち地域指導者のマスター指導者として)地域住民は我々少年サッカ
ー指導者(運営や中学生のサッカー指導を行う)で構成され活動を行
っていました。
その活動を通し感じたことは、その拠点・備品(練習用具・財産)・
銀行口座等、運営に必要な物の持ち主は個人名義でなければならず、
そのほとんどを私が負担していたこと(うちのチームの持ち物で賄っ
ていました。)「FC三鷹」は全盛期には中学生が50人以上となり
組織として運営するには社会的な信用や存在を明確にする必要を感じ
たからです。私は自身の活動が忙しくなり3年間務めましたが、運営
から外れることとなりました。(中村コーチも同様)
その後何年間かの活動を経て「FC三鷹」も中学生の参加者が減少し
消滅となりました。これは、「クラブを半永久的に存続させるために
何をしなければならないのか」ということを考えさせられる出来事と
なりました。(これはF.C.GALLO時代の出来事です。)

我がNPO法人の設立は三鷹市で初めてのことでした。
その当時、国策として総合型地域スポーツクラブを各道府県及び市区
町村に地域住民が主体となる地域スポーツクラブの設立をしなければ
ならないという政策が打ち出されており、三鷹市においてもその政策
を実現すべく模索していたため、スポーツ推進課(当時振興課)から
の連絡受け「NPO法人設立の趣旨を聞かせてほしい」とのことでヒア
リングを受けました。
その時に行政と共にヒアリングに参加していたのが三鷹市の体育導員
で「三鷹市の西部地区をモデル地域として総合型地域スポーツクラブ
の設立をしたいので協力をお願いできないか」との話となり設立趣旨
とも合致したこともあり当法人を含めたソフトバレー・フットサル・
野外活動(ICUの准教授主催)・ソフトテニス等の団体で総合型地域
スポーツクラブ「三鷹ウエスト」を設立することとなりました。

この様な動きを受けてチーム母体のNPO法人と共に新しいサッカー
活動へと変動していきます。「三鷹ウエスト」の活動として以下の
物が追加されました。

まずは、当法人として多年層が所属するクラブを目指すこと!
■中学生年代(Jrユース)・18歳以上年代のカテゴリーを追加・募集
この際、広く地域からの募集を行いたかった為、「F.C.GALLO」
の名前を継続せず、「三鷹FCウエスト」と改名をいたしました。
Jrユースはどうにか試合ができる人数が集まり、三多摩リーグに参戦
また、大人の部はGALLOの保護者たちが集まり、三鷹市サッカー協
会のリーグに参戦(当時は幼児から壮年までのサッカーチームとして
活動しておりました。)

そしてサッカーの普及発展、地域貢献・青少年健全育成に寄与する目的
でサッカースクールの開催を行いました。(小学校長の理解を得て学校
施設の提供をしていただきました。)
■二小・井口小学校でのサッカースクールの実施
毎週火・金曜日:第二小学校 校庭及び体育館(雨天)にて低学年
(1~3年生)のサッカースクールを開催。
(16:00~17:30)
毎週水曜日:井口小学校体育館にて市民開放となるまでの間の時間帯
(16:30~18:00)にフットサルスクールを開催。

これらも3年間の活動を経て「三鷹ウエスト」からの脱退により閉鎖を
いたしました。(三鷹ウエストの脱退については長くなりますので割愛
させていただきます。)

その後はJrユースの活動(練習会場確保)に限界を感じ「三鷹ウエスト」
脱退とともに活動を中止しました。

三鷹FCの歴史#5(三鷹FCへの道)へ続く

三鷹FCの歴史#5(三鷹FCへの道)

この時期はNPO法人の設立「三鷹FCウエスト」へ改名、地域のスポー
ツ活動や行政との協力事業等いろいろと活動の幅を広げチーム運営に
ついてどのようにしていこうか模索しながら活動していた時代です。

特に気がかりだったのは「FC三鷹」で携わってきた中学生年代のサッ
カー環境についてです。小学生年代のサッカー活動は私が三鷹市に来
てクラブを立ち上げた頃とは比べ物にならないくらい各小学校チーム
やクラブチームができ市内リーグを開催するまで盛んになりました。
しかし、それまで中学生年代のスポーツ活動を担ってきた部活が年々
顧問の転勤や就業体系の変化によって衰退・廃部となる状況であり、
小学生年代で一生懸命サッカーをやっていた子供たちが中学に入り部
活がなかったり、あったとしてもその活動に不満を持つ声が聞かれる
ようになりました。
「育成」について考え指導方針とする中で、心身ともに大きな成長と
競技においてパフォーマンスを発揮することができる大事な年代に好
きなスポーツを思いっきりできないのは非常に残念なことで「育成」
として小学生年代から中学生年代への引継ぎが出来ない状態となると
三鷹市における「育成システム」の構築が出来ない状態ともなります。

「FC三鷹」はこの様な現状をふまえ設立されたスクールです。
先に書きましたが運営システムとしては「行政・FC東京・地域住民」
でエリア(会場確保)は行政が年間で確保し、プログラム(指導者)
はFC東京のコーチが担当、そして、全般の運営(マネージメント)は
地域住民が行うという今までにあまりなかった画期的な形として注目
されました。
 では何故「FC三鷹」は継続できなかったか・・・
それは、運営をしていた我々地域住民に限界があったからです。
自分たちの仕事や自チームの指導・運営等を行いながらボランティア
活動を行い色々な部分で持ち出しもあり、熱意だけでは続けられない
というのが結論でした。
そこでどうにかならないかと設立したのが「三鷹FAジュニアユース」
です。
当時、私は三鷹市サッカー協会で役員をしており「三鷹市よりJリーガ
ーを!」というスローガンで「育成システム」の構築、サッカー環境の
整備を目指していたこともあり、エリア(会場確保)をサッカー協会が
行い、プログラムとマネージメントを委託するといったシステムで三鷹
市にジュニアユース(クラブチーム)を立ち上げることを提案し、サッ
カー協会からの承諾を得て、委託団体としてNPO法人との契約を結び
1年間の準備期間を経て「三鷹FAジュアユース」が設立されました。
「三鷹FAジュニアユース」は現在まで10年以上も継続されており三鷹
市のジュニアユースチームとして活躍しております。
熱意や情熱だけではクラブ運営を継続していくことは難しくしっかりと
した運営システムの構築が大事であることを実感しました。

多年層が所属する地域クラブ「三鷹FCウエスト」の中学生年代での活動
カテゴリーの趣旨は「三鷹FAジュニアユース」へと受け継がれ、大人の
部は壮年(40歳以上)の部として三鷹市サッカー協会に登録し活動し
ております。

三鷹FCの歴史#6(三鷹FC)へ続く

三鷹FCの歴史#6(三鷹FC)

「三鷹FCウエスト」から「三鷹FC」に改名したのは端的に言うと三鷹市
東部地区にスクール拠点を開設することから地域限定のウエストという
名称を削除しました。
西部地区に加えて東部地区でのスクール展開を行うことは、塩谷コーチ
の意向を受け三鷹市における活動範囲の拡大につながることから東部地
区にサッカースクールを設立したのです。
設立当初は練習会場等安定した場所の確保等苦労しましたが、一つ一つ
解決することによって現在に至ります。
今後も子供たちのサッカー環境を整えることに重点を置き活動を続けて
行きたいと思います。

三鷹FCの歴史 終わり